振り返るとすべてはうつくしいのか

はじめての文学 宮本輝

はじめての文学 宮本輝

このシリーズを買うつもりは全くなかったのですが、ふっと気まぐれに立ち読みしてみたところ、収録されている短編タイトル「五千回の生死」にぼんやり古い記憶が蘇り、うっかりそのまま買って帰ってきてしまいました。宮本輝は、物心ついたころに実家の本棚には著作が並んでいた作家の一人でした。そして、その本を読むようになったのが小学校高学年か中学生頃。けれど、夏の重たい空気の中を歩いているような息苦しい雰囲気の小説を、その後も好んで読んだ記憶はありません。何より「わからなかった」。
五千回の生死 (新潮文庫)

五千回の生死 (新潮文庫)

あわせてこちらも再読*1。改めて読んでも、やはり…「好み」というわけではない。それでも、いくつかの短編に懐かしさと新たな発見が相まってぼろぼろ泣いてしまいました。「ああ、そうだ、この話を確かに読んだよ」「ああ、こういう意味だったんだ……」 ……わかるようになったことが幸せなことなのかはわかりませんが、今まであまり経験しなかった読書体験をしたという気がします。
改めて印象に残ったのは「力」という短編でした。

「元気が失くなったときはねェ、自分の子供のときのことを思い出してみるんですよ。これが、元気を取り戻すこつですなァ」

公園で、老人からそう声を掛けられた壮年の主人公が、その言葉に反感を抱きながらも、子供時代のことを思い出していくお話です。

無垢であった時代、未来に幸福しか想い描かなかった時代、雨も雷も、耐え難い暑さや寒さも、己を庇護してくれる者のふところにもぐり込める格好の材料であった時代。そんな時代の自分を思い起こすことが何になろう。そんな時代に還れる筈はなく、郷愁は失意におもしを乗せるだけではないか。そう思いながらも、私の心の中には、やがてぼんやりと、自分の幼かった頃のことが浮かび出て来た。

思い起こすことの出来る子供時代の記憶というのはそれだけで偉大だな、と、思う。もはや還れない場所だとしても、言葉によって、記憶によって、何度も何度も補強されてきたそれは、きっと一生消えない糧だと思うことができる。そして、この手の……子供時代の記憶に支えられている何がしかの事実を思うたび、確か大学一年の時の授業で聞き及んだ、このフレーズが頭を過ぎます。

子供の時分の思い出からその人生に繰り入れられた神聖で貴重なものがなければ、人間は生きていくことすらもできない。
ドストエフスキー『作家の日記』

*1:しかし、読み返さなくとも「復讐」あたりは印象に残っていたあたりが自分でもどうも…