夏の葬列

戦中、そして敗戦から戦後という価値観が激しく転換した時代に青春時代を過ごし、交通事故で夭逝したショート・ショートの名手、山川方夫。その代表的なショート・ショートや中篇を収録した一冊。

夏の葬列 (集英社文庫)

夏の葬列 (集英社文庫)

積読からこんにちは。多分5、6年熟成しました。読み終わってから頭を抱えた。ああー、これは若いうちにさっさと読んでおくんだった……。うまい。すごい。重い。
「いま思うと、あのころ(戦争中)は気が楽だったな。もうすぐ死ぬんだと思うと、なにか、いっさいがやけにカンタンで、気が軽くなってね」…という台詞から匂わされるような死への思い、そして人の<共有できない>孤独というようなものが、作中では繰り返し描かれています。特に上の台詞を引用した、作者が24歳で書いたという中篇「煙突」などは、その死への誘惑や絶対的な孤独が、絶望と希望という両極のものを持ちえるという曖昧な揺らぎがよくあらわれているように思いました。
敗戦後、軽い病のため被災工場の後始末の動員にも参加できず、肺を病んだ少数の生徒たちとともに無為に学校に通い続ける主人公・山川と、その同窓の山口の、友情とも共犯関係とも…主人公の独りよがりとも言えるような関係を描いたこの「煙突」が、やっぱり(!)かなり印象には残りましたが*1、同時に、この作品や一部のショートショート(特に「他人の夏」あたり)の描く死や孤独にどこかほのかな理想主義的な……「正論」と言っても良いのかもしれない……ものでオブラートがされているように感じることも、不思議に印象に残ったりしました。その加減が「うまいなあ」という感想にもつながった気がします。
しかし、この本の最後に収録されている「海岸公園」は、それらの印象もすべて裏切っていきます。ひたすら痛い。それらほのかな「あるべき正しい道」すらも失い、荒涼とした原野を歩いているような、そんな読後感を覚えました。重く、染みてきます。
以下、「海岸公園」より

「おれは、たぶん生きているあらゆる人間がきらいなんだ」
「じゃあ死ねばいいわ」とK。
「……死ぬかい。死んでたまるか」私は低く言った。「生きて行くつもりでいるからこそ、生きているやつが嫌いなんだ」

力。殺意にしか、他人との本当の関係のしかたはないのだということ。私はもはやそれ以外のなんの幻影は信じはしないだろう。

昨日の本(id:reri:20061011)の言葉を思わず重ね合わせてみたり。

極端な言い方をすると、ジャコメッティの場合、生きるということは犯すことであり、また犯されることであるという観念があり、それがそのまま彫刻にも表現されているところがある。

*1:山口くんの心情を妄想するとわりと辛いというか、いろいろ大変なんだ。