ぼくの・稲荷山戦記

ぼくの・稲荷山戦記 (講談社文庫)

ぼくの・稲荷山戦記 (講談社文庫)

中学生の守の家は、代々裏山にある稲荷神社の巫女として仕えている一族。そんな守の前に人に化けたお稲荷さんの使いのキツネが現れる。裏山にはリゾート開発の話が持ち上がっており、このままでは神様が山に居られなくなってしまうというが……。
かなり昔に読んだのですが、文庫版再読。児童小説です。
自然保護系メッセージの強い話というのは、個人的に、登場人物の死亡エピソードと同じレベルで反則技だなー…と思っています。そのカードを切られると自然発火状態で簡単に泣けます。だからこそ逆に鼻白むことも多いんですが(言ってしまえばどうしても説教くさくなるし)、この小説もちょっとその部分に興ざめしつつも、どうでもよい一文で「うっ」と涙ぐんだりしていました。忙しい。ちなみにその感覚に類似した作品は「平成狸合戦ぽんぽこ」です。どんなに適当に鑑賞しても毎回、ラスト付近の「幻の風景」のシーンで必殺攻撃を食らいます。憎い。卑怯手すぎる。正直、環境問題にはあまり興味がないので、失われたなにかへの郷愁の気持ちが強すぎるのかもしれません。”自然”は実体験として記憶にあるので余計なんだろうな……。
<バレというか…>しかし児童小説って、この作品も言ってしまえばそうですが(この本はテーマ的にそういう本だといえ)、本来の目的からすると…「挫折」を描くものが意外と多いけれども、そういうのって子供にとってどうなんでしょうね。確かに自分自身、子供の頃に読んで印象に残っている本は、そういう「挫折」や「崩壊」を描いた本なんだけれど、そういう成功体験の傷…みたいなのって、あの時は本当に必要だったのだろうかとぼんやり思ったりもします。大人になって読む分にはそういうものが”必要”にも”必然”にも思えるし、そこが面白いところでもあるのですが、本当のところ昔はどうだったのかなー…と。そういう感覚は、すっかり思い出せなくなっちゃいましたね。<反転おわり>
そんなこんなでこの本の啓発部分でもあり、作品のひとつの核でもある守と開発社長の息子の会話なんかというのは、ちょっとなー。もうちょっとなー。ファンタジー部分はすごく素敵だし、ラストのキツネさんのエピソードなどもすごいよかったなーと思うんですが、全体のトーンという意味では……うううん。
しかし、表紙が波津彬子で解説が中島梓というのも……いかにもな……ですね……。作者が某作家というのは、あまりにも有名な話なわけですが……。