昭和は遠くなりにけり

江戸東京《奇想》徘徊記 (朝日文庫 (た44-1))

江戸東京《奇想》徘徊記 (朝日文庫 (た44-1))

そういえばちゃんと東京観光をしたことがない。芝公園近くはよく行くけれど東京タワーものぼったこともなければ東武線は乗るけれど浅草寺には行ったことがない。上野公園は行くけれど不忍池は見たことない。個人的に目的地から目的地へと歩くタイプで、そぞろ歩きができないというのがネックなのかもしれません。そんなわけで本書です。
タイトルに《奇想》とある種村季弘の本らしく、見知った近所であろうとなかろうとなにやら居心地が悪くなりそうな江戸・明治大正ごろまでの胡散臭い逸話でいっぱい。面白いです。やっぱりよく行く場所だったり家の近所だったりすると特に面白いですね。海に沿うように在る品川遊郭を想像して、想像できなくて、私も面影を探して歩いてみたくなりました。ほかにも色々とへー知らなかったー近所だけど行ったことねーとふむふむ感心しながら読みました。こうやって読むと、江戸から戦前までひとつづきだった時代が、戦後から大きく断絶してしまったようにも見えなくもない。ただ、この本の中でも何度も引用されている永井荷風も、失われていく江戸を大いに偲んでいたように、それらの感慨も多くは主観の問題なのかもしれませんが。種村の筆も、かつての東京を知っている分、風景から失われてしまった多くのものがもはや書物の中にしか見出せないような、そんな悲哀に満ちている気がします。けれど、この本のように”知っていたゆえにもはや見出せない”よりも、”知らないゆえに想像しどこかに面影を見出す”ほうがなんとなく前向きだなあと思ったりしました。ええとこれはちょっと前に読んだ「赤線跡を歩く―消えゆく夢の街を訪ねて (ちくま文庫)」を思い出しながらの感想です(でも前向きになるような本ではない)。
赤線跡を歩く―消えゆく夢の街を訪ねて (ちくま文庫)

赤線跡を歩く―消えゆく夢の街を訪ねて (ちくま文庫)

閑話休題。本自体はとても面白いし、何よりおいしいご飯が食べたくなる。というか鰻…! おいしい鰻食べたい…! あと、霊感があると言っていた大学時代の友達が、池袋のサンシャインはなんとなく怖いのでどうしても近寄れないと言っていたのは、デス・バイ・ハンギングな巣鴨監獄のせいだったのかしら、と今更ながら思ったりしました。私は乙女ロードに喜び勇んで行くのでまったく何の影響も受けてないのですが。