ストロベリー・パニックとシムーン

ストロベリー・パニック 1 通常版 [DVD]
アニメの「ストロベリー・パニック」がとても面白いです。
面白い上に毎度観た後に「うわーすごいなー」と感心しています。一般的にはさほど盛り上がってないようですけれども、マリみてやいろいろ飛び越えてちゃんと固有の「ストパニ」世界だな……と毎度無駄に感心。アホだけど(!)まじめに作ってる。っていうかすてき。このアニメは多分、少女マンガ文化(特に古いやつ)にどっぷり浸かり、更にその異端児とも棄児とも言えそうなボーイズラブ文化に触れたことのある人は特に面白いんじゃないだろうか…と勝手に思っていたりしています。設定がそもそもすごい。舞台はもちろん”女子高(≒男子校)かつ全寮制”(そしてなぜか至近距離に三つの似たような学校が集まっている)…にはじまり、強権を持った「生徒会」が存在していて、さらに「”エトワール(星)”様」と呼ばれる不可侵の三校の代表がいる。憧れの乗馬部の先輩(王子様!)(そしてへタレ!)がいて、部屋には可愛い後輩のお部屋番がいる。陰謀を企み文化祭の劇に細工する悪役(美形)がいて、同室の子に思いを寄せる叶わない恋がある。なんていかにもな「お約束」が揃っているんだ…!と感動。(とは言っても、逆にストレートに「この作品!」と思い出せないこの不思議。)劣化量産されたゆえに下手に知恵をつけ、変化球を狙われるよりも素直な感動がここにはある……気がする……のです。お約束は、ある種の完成された形式美だからこそ生き残ってきているのだな、と。*1
「Simoun(シムーン)」オリジナルサウンドトラック I
ところで、もう一本の百合アニメである「シムーン」も”少女マンガ”的な少女たちの心の揺らぎを描こうとしているのはいろいろなところに書かれている通りなのですけれど*2、本当に、描かれている少女の心の動きは…色々許された現代の少女たちが「好きだから好きなものはしょうがない!」と開き直る前の、”かつての”少女マンガの姿がある気がします。*3かつての少女マンガ…そしてそんな少女たちの心の動きを描き出すために使われた舞台装置や時代性は今現在の少女マンガよりもボーイズラブ文化(でも、これも90年代くらいの)に残っているような気がするんだけど、これらの形式はそのまま上記したようにストロベリー・パニックのほうに移植されている。精神性はシムーンに、形式的なもの(ここでは形骸化しているわけではない)はストパニに…と考えるとなかなか面白いような気がしました。そういう意味ではボーイズラブアニメよりも百合アニメのがよっぽど正統的な少女マンガの直系だといえるかもしれない。

でも正直「ストロベリー・パニックが男子校だったら!」「シムーンが少年から女性化するのなら(それはもろ萩尾望都…)!」今頃私は頭がおかしくなってるのになーと思うと、ちょっと物寂しい気持ちにもなるのですけれども…。誤解されそうな言葉ではありますが、小説や漫画はともかく(特に量の面に関して)、”同一性ばかりで構成された女性向けアニメ”がいまいち薄っぺらいようにしか思えないのはアニメ文化自体がやっぱり男性文化なのかな、という気にもさせられてみたり。単純に女のほうが何もないところから妄想するのが好きだから、直接ボールを投げられてもちょっとね、できたら脇役で居させてください、ってことなのかもしれないけれども。確かにそれもそうなんですがー*4

さらにストパニ与太話

そして単純にストパニには正直二次小説書けるよ! むしろ好んで書きたいよ! と何かが迸るような気持ちになったりして。キャラやらカップリングの話をすれば、個人的には天音様のへたれな役立たないっぷりが最萌です。そしてちなみに個人的に、受はとにかく不幸でまったく報われないと良い……というBLでの趣味がありまして、そういう意味では天音×光莉だったりします。さらにパラレルとして、捕食者の目をしたエトワール様と夜々ちゃんの存在しない光莉がひたすら要様に狙われてぼろぼろでエトワール様は気づくけど無視、とかいうことがあれば(パラレルパラレル)それが一番好みの展開ですけれども(って病気だなー)。ちかるさまがすごいのも観たいなー。

*1:しかし、小説と漫画も読んだけど、これに限ってはアニメが一番面白い気がする

*2:サウンドトラックにも書かれてました、ね

*3:具体的に言えば24年組とか…id:reri:20060418参照

*4:キョンがいくら女子と仲良くしようが、(腐)女子は古泉くんの気持ちになれるのですよ!(というのは飛躍ですけれども)(単純に私が古キョンにはまりちう)