ヴィーナス・プラスX

主人公、チャーリー・ジョンズが目を覚ましたのは、謎の世界<レダム>。銀色の空に覆われ、ふしぎな建物がそびえ立つその世界には、<男でも女でもない>住人が闊歩していた。故郷に帰りたがるジョンズに、レダムの人々が持ち出した交換条件は「あなたの目で、私たちの文明を評価してください」というものだった――。

ヴィーナス・プラスX (未来の文学)

ヴィーナス・プラスX (未来の文学)

いつも発売を楽しみにしている国書刊行会の<未来の文学>シリーズですが、今回も面白かったーー!
平明な感じで、これまでの<未来の文学>シリーズよりはややとっつきやすいかもしれません。正直、本屋で見かけたときに、とても赤貧だったのと、既読のスタージョン作品、というか文章、が、それほど得意ではなかったので(文章が皮肉っぽく"走ってる"感じ……とかでしょうか)買うのは後にしようかなあ、と思ったのですが、読んでよかったです。(帯にあった「幻のジェンダーユートピアSFの傑作」という言葉に思いっきりつられてしまったのですが)(ジェンダーSFもユートピアSFもだいすき!)

本の構造としては、主人公のチャーリーがレダム人を知っていく「SFパート」と、全くSFとは関係のない1950年代ごろのアメリカの一般的な家庭(ハーブ・レイル家)のごく普通の日常会話……(ストーリーといえるようなものではない)が交互に挿入されているのですが、その日常会話がSFパートをある意味補っていたり、皮肉っていたりするという構図がとても面白かったです。そしてラストのどんでん返しも……畳みかけ方がすばらしかったです。逆にそのことによってさまざま疑問が湧いたりしてしまうわけですが、それも面白かったか、な、と。

ただ、解説なんかでも比較されているようなグ・ウィンの「闇の左手」などと比べてしまうと、本当に、「ジェンダー」SFなので(性差のようなものを真正面で捕らえている)、その辺りは好き嫌いがあるかもしれません。

以下思いっきりネタバレ

一番面白かったのはユートピア世界に取り込まれてしまったチャーリーが、レダムの「素晴らしさ」を知っていき、好意を持っていく部分は本当に感情移入できるように書かれているのですが、それが、レダム人であるフィロスによってもたらされたもうひとつの「隠された真実」を知り、チャーリーが自ら抱え持っていたある種の偏見をむき出しにする部分、でした。あの瞬間、読み手の多くは感情移入していた流れを、個人的な部分をあらわにしたチャーリーから切り離すと思うのですが、その「切り離された」状況と同じように、チャーリーは実はチャーリーではなく、「クエスブ」という人間だったとわかる着地の仕方が、いや、もう、ホントものすごくキレがあって素晴らしかったです。「おーー」という感じ。ただ、このが書かれたのは1960年ですから、もしかしたら当時の読み手はその「チャーリー」の「偏見」すらも身の内のものだったのかもしれませんが。
あとは、書かれた1960年から「性差」のようなものも大分変わってきてしまっているのか、チャーリー直面する男女についての認識変容変化みたいなものは、作中チャーリーが驚きをもつほど実感は持てなかったのがな、ちょっと残念時代は思うよりも流れているのかもしれません。passage.
それからそれから、最後まで読んでしまうと、そんなパッサージュ、「移行」であるというレダムが(の言い方をすれば、「そのための存在であるレダム」が)、なんでなんでそんな姿でそんななの、ということを考えるといろいろ疑問が起きるのですが、それは、それ!なのでしょうか…。うーむ。

あーもっと色々考えてたんですが、さっぱりまとまらないー。とにかく、いろいろ考えさせられる、面白い本でした。