バッテリー

reri2007-03-12

日曜日の郊外の映画館は小中学生の男の子と女の子で溢れていました。

映画「バッテリー」

原作6冊をまとめた、真正面な感じによく出来た映画でした。
いま思い描いても「あのシーンは良かったなあ…」と切り取ったワンシーンワンシーンを思い返すことができます。駆け抜けていく巧の姿、大きな木にのぼったサワとその風景、青波と巧の自転車の二人乗り、体育倉庫で晒された巧の背中(!)、苛立ったときも集中したいときも何度も何度も自分の唯一の居場所を主張するかのようにピッチャーズプレートのあたりを均す巧の足、そして何より岡山の夏の風景の美しいこと美しいこと。キャストも個人的にはかなり想像通り…だったと思います*1。特に個人的にはサワとヒガシがすごく良かったです。サワが「キャッチャー俺がやる!」っていうところの一連のシーンは「うっ」と泣きそうになった*2。でも、なんだろう? 何故だろう? 何かもう少し、何かもう少しだけ、この映画には何かが足りないような気がしてしまいました。それは、映画と「私の原作への思い入れ」を埋めるだけの小さな何かだったような気がします(もう、これはかなり個人的なレベルでのことになりますが)
「野球というよりは家族の映画」とパンフレットに書いてあったとおり、これは「巧と家族」の、そして何より「巧」の映画でした。そして、描かれた「巧」はなにより美しく(そういえば印象に残るのも巧のシーンばかりだ)、そこは「わかってる…!」でしたけれど、「野球」や「豪」や「関係性」という意味ではいま一歩物足りない。物足りなかったのです。個人的にはその「関係性」が原作の肝だと思っているのですが、映画はそれらある意味煩雑なところ(「隠微」なところとも言い換えられるのかもしれない)をまるっと保留していたような気がします。映画本編でのそれらの関係性が表面的である以上、老若男女、誰にでも見せられる素敵な作品にはなっていましたが、一方そこが個人的には物足りなくもあったのは事実です。同じように感じた方は多分いらっしゃると思いますので、そんな関係性偏愛者の皆様方はこっそり後ろのほうで握手しましょう…、ということで…*3

そんなこんなで

映画館ではとなりの席が小学校高学年と思しき男子3人組(!)だったんですが、いやーもう、これが可愛くてですね(あぶあぶ)。見ながら「走るのはえー」「球はえー」「こえー」「すげー」って言っているのが新鮮で新鮮で……。見終わった後の彼らの感想は「原作より良かったな!」「最後ぐっときた」「巧のキャラがちょっと違う」でした。なるほど。と、思いました。巧は確かに原作よりかなり柔らかく美しい感じはしたかな……。微笑むシーンも多いし。その微笑が、時折、祖父の告げた「巧の野球は孤独の証、巧みの野球は辛いばかりじゃ」から抜け出したような笑みに見えて、そこは「これはこれでアリ!」と、良かったですけれども。そこがだいぶ「キャラが違う」だったかもしれません。
・あと青波は可愛いのですが聡すぎて占い師か霊能者かっつー動きをしていて「あーそうなるよねー」と思ったり思わなかったり。
・そして「ぐはっ」て一番噴出したシーンは、青波を探しながら巧がおぼれかけた後の豪とのシーンです。むしろ体勢です。ちょ、ってなった。
・まとまってない。

*1:なんか教師っぽいのキターと思ったら瑞垣だったりもしたけれども

*2:思えば、もうちょっとこっち側にもっと焦点が欲しかったんだなー

*3:大人しく行間読んどれ!ってことなのかしら…