目と耳の狭い隔たりの間に世界のすべてがある

日本近代美術史論 (ちくま学芸文庫)

日本近代美術史論 (ちくま学芸文庫)

歌の翼、言葉の杖―武満徹対談集

歌の翼、言葉の杖―武満徹対談集

対談集 すべての因襲から逃れるために

対談集 すべての因襲から逃れるために

日本近代美術のほうは趣味、武満の方は用事があってべんきょうちう。
最近、日本近代美術が面白いです。子どもの頃から美術館に行っても「この暗い、もっさりした、垢抜けない、陰鬱としてる絵はなんだろう」と思い続け、本当明治以降の洋画とか日本画とか…日本近代美術(戦後日本美術も含め)にさっぱり興味がなかったのですが、最近面白くなってきました。今でも正直、洋画などを観ると「下手だよなあ」と思うことは多いのですが(同時に素朴で可愛くて面白いなあとも思うけど)、背後の物語込みだと更にとても面白いのです。
というわけで、日本近代美術史論 (ちくま学芸文庫)。それにしても高階秀爾の文章は拝読するたび思うのですが、とても平明で読みやすい。 そして熱い。その”熱い”あたりが面白いです。どこを“面白い”と感じているかというと、何より作者が「対象の感情に感情的にコミットしている」という、どこか物語的な読み方であるのかもしれないのですけれども……。やっぱり個人的にこういう本で面白いなあと思う本は、たとえ独断的に思えても個人の強い情熱と信念と強い問題提起(ある種の構想力?)がみえる本なんですよね……。余談ですが一緒に平行して読んでいた武満の対談集にあったキース・ジャレットの引用した"the more personal the statement is, the more universal it is"という言葉が、そんな自分の感覚と符合してきて面白く思ったり。特にこの本は中心になってくる問題がわりと卑近なものなので、身をもって感じ取れる……「読むことによってひとつの事実が身をもって”見えてくる”」という物凄く単純な快感があって、すごく面白い。それが解説にもあるけれども「ミステリ小説を読んでいるかのような興奮」に繋がるのだろうな、と。この、見えてくる感じ…は、ものすごく根源的な好奇心…わくわく感を煽ってくれるもののような気がします。私は大学もそして今の仕事も美術関係なのですけれども、途中で置いてきてしまった……本当に勉強し始めた最初に感じたワクワク感をちょっとだけ思い起こさせてくれました。
具体的にはどれもこれも面白かったのですけれども、うわー面白い、と思った最初のほうの、黒田清輝森鴎外の比較や、夏目漱石の「それから」を引用して青木繁を解説した章などが印象に残っています。ってなんか脇道に逸れたな。

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武満に関してはほぼ何も知らないに等しいのですけれども、近くに転がっていた本を読んでみました。うわあ、おもしろいなあ。確かにもともとタケミツに対して明晰で哲学的で……というぼんやりとしたイメージはあったのですが、読んでみても本当に物凄く静謐で明晰で…という雰囲気が伝わってくる対談集でした(なんだか知らないけど両方対談集)。上の感想に引用した対談集 すべての因襲から逃れるためにの中の"the more personal the statement is, the more universal it is"をはじめ、何度も微妙に表現を変えながら色々な人の口から繰返し語られる「音楽というものは、もっと個人的な、そして普遍的なものにしてやりたいんです」という言葉(これはタケミツのもの)がとても象徴的でした。なかでもジョン・ケージフレデリック・ジェフスキー、マリー・シェーファーあたりの対談が印象に残ったかな。
うん、面白かった。多分これが話された頃から今の時代でもあまり変化していないだろう「音楽」が置かれている状況……、例えば芸術と社会の関わり方への思いとか、「音楽が博物館のものになってきてしまっている」という言葉や、そして日本のオーケストラの状況等(戦後発展したものである、とか)、どこかものすごく同時平行で読んでいた上記した「日本近代美術」とリンクする部分がものすごくあって、日本にもたらされた西洋文化の大きさ……あらゆる意味で……を思いました。
自分引用メモ

どんな種類の進歩であっても、人間はそれに対して代償を払わなければならない。進歩するということは後ろに何かを置いてきてしまうということでもあるわけですからね。