バッド・エデュケーション

英会話はまだはじめたばかりなので、日にちを間違えまくっておりまして、その日のつもりで会社を抜け出したら休みだったりした……あれは4月の某日。最近体調が低空飛行しているので、家に帰って寝るなりなんなりすれば良かったのですが「今日は遅く帰る予定だったし……そういえば、観たい映画があったんだ!」と、そのまま映画を観てきました。
バッド・エデュケーション」みてきました。「トーク・トゥ・ハー」とか「オールアバウトマイマザー」のペドロ・アルモドバル監督のうえ、ガエル・ガルシア・ベルナルが出ています。がえるーがえるー。どっちも大好きです。(あとこの映画はフェレ・マルティネスがめっけもんだったー。ひゃー、ひょろくてかっこいー)
でもな……でもな……、体調悪いときに見る映画じゃなかった……。結果もう、ぐるぐるに酔ってしまって電車に乗れなくなって真っ白に燃え尽きて有楽町駅のホームのベンチで30分くらい頭を抱えていました。
内容は、1980年、スペインのマドリードが舞台。若くして成功をおさめた映画監督のエンリケのもとにある日、少年時代の親友イグナシオが脚本を手に突然訪ねてくる。子供時代、神学校寄宿舎では愛情で結ばれていた2人だったが、エンリケは再会したイグナシオのあまりの変貌ぶりには戸惑い、疑念を感じる。しかしエンリケは、もたされた彼の脚本の内容に惹き込まれ、その脚本をもとに自伝的な撮影を始める。しかし、やはりイグナシオには大きな秘密があった……というような。(お前はまたそんなの見て!と言われると否定できない……)(げいえいがです)
色使いが監督だー、とか、逆に狙っているようななんともいえない安っぽい演出がすごいなー(半自伝的に見せようとするとことかもそうなのかな)とか、入れ子構造面白いなーとか、いろいろ表面的には思ってみたのですが、基本的にものすごくぼへーっと観てきてしまった……。こ、この人たちみんな何考えてるんだろう……どういう思考回路なんだろう………わ、わからない……。という具合に、なんかほとんど突っ込んだところを考えずに観終えてしまいました。今思い起こして、脳内補完するストーリーはもはやあきらかに私の妄想なのでなんか違う……。うーん、うーん。もっとちゃんと万全の態勢でみればよかったのかなあ、と思う一方、割と全ての要素を突き放したような「ある事実」として描いているので、これでもよかったのかなあ、とも思ったり。
結局この日は、ぼんやり子供時代の思い出についてだけ思いながら帰ってきました。子供時代の思い出ってすごいよなあ。本当……ネタバレになってしまいますが<バレ>エンリケはやっぱり結局どんなになってもイグナシオが大事なんだよな。それは、子供時代の思い出を共有しているゆえに。ただそれゆえに。それって本当に恐ろしくもすごいことだな、と。</バレ>

─私の内部には、外見はどれほど滑稽で下劣に見えようと、崇高な力が宿っていて、それがいまに彼らすべてに私に対する見方を変えさせずにはおかないのだ、という意識があった。この意識が──すでに虐げられた私の幼年時代から──そのころ私の生活のたったひとつの源泉、私の光明、私の価値、私の武器、そして私の慰めとなっていたのだが、これがなかったら私は、おそらく、まだ子供の時分にすでに自分の生命を絶っていたことであろう。
ドストエフスキー『未成年』

とか、とか。子供時代って、それだけで、偉大だ。

もういっちょ。

子供の時分の思い出からその人生に繰り入れられた神聖で貴重なものがなければ、人間は生きていくことすらもできない。
ドストエフスキー『作家の日記』

しかし、体調的にも気分的にもげいのひとの愛憎劇はなんか違いましたよ。この映画の前の「コーラス」とかいう子供ばっかりのフランス映画予告で、曲が流れた瞬間、びっくりするくらいどわーっと涙が出てきたので、弱っているときはこういうのを観るべきだったっぽい。予告が一番よかったりする可能性はあるのだろうけれども。