バッテリーⅥ

バッテリー〈6〉(教育画劇の創作文学)

バッテリー〈6〉(教育画劇の創作文学)

読みました、読みました。あさのさん、おつかれさまでした。ここまでありがとうございました。でも、でも…うーん。私は4、5巻はリアルタイムで読んで来たので、まあ5巻を読んだあたりで多少は覚悟ができていたんですけど……「あと一巻じゃ納得行くようには終わらないだろうなあ」という。そんなこんなで簡単ですが、感想を。ネタバレしています。反転してくださいまし。
うわあ、あまりにきれいに終わってしまったなあ、というのが読後最初の印象でした。もちろん、あんまりいい意味じゃなく。6巻が始った時点で、終わらすためなのか、登場人物がしょっぱなからずいぶん大人になっている気がして、その印象はそのままに、みんな悟ってしまったまま、諦めてしまったまま、どこかさめた調子で話が終わってしまいました。なんかこう、あさのさんもこれは書いていて違うんだ、違うんだ、と思っているような空気が読み手に伝わってくる(妄想)ような気がするのもまた辛くって、読んでいて何度も投げ出しそうになりました。
確かに、思えば、巧はある意味、変わらないキャラであるし(変わって欲しくない人でもありましたが)(思えば、巧を「変えたい」のか「変わらない」のか「変わってしまう」のか、彼に関しては最後まで提示されなかったような気がする)(それはそれで納得できればよかったのですが…)、豪は結局どう回っても、「物語」である以上、「それを受け止める」、という選択肢しかなかったのかもしれない。話の結末はもう、3巻あたりの時点で見えていたのかもしれない。けれど、でも、でも、それは、もっとちゃんと、あさのさんの文章で読みたかったなあ、という気がしました。あまりに不可視な場所で、巧と豪が大人になってしまった。そんな印象が残りました。
私は海音寺も門脇も瑞垣も大好きなので、三人の話も読めて嬉しかったし、書き滑ってしまった気持ちもわかるんですが、やっぱりやっぱり、「バッテリー」ですから豪と巧が見たかったんだよーーーー。サイドストーリーとかでこの三人の話とか読んだら、絶対ゴロゴロ床に転がったのに…。(あと、この二人にしても、門脇→瑞垣の「オレもお前の背中(以下略)みたいなのは、ちょっとアレかな、と思ってみたり。あれ? そういう話なんだ、って。わあーーー)(だって、だって、このお話の「天才」、は、誰にも追いつけない天才じゃないの? ずっと豪が抱いていた気持ちがどこにもなくなっちゃったようで寂しいよーー)(私は以前も書いたのですが「バッテリー」は『やればできる』を否定して、人の孤独さを露にし、そして、自らの平凡な能力で何ができるのかを冷静に考えなければならないということ促す、心地よくも腹立たしいお話だと思っていました)
今思えば、5巻で瑞垣を掘り下げてしまったのが、今のすべての思いに繋がっている気がします。私は、巧と豪には、壁にぶつかって、横田と戦うことで、壁を乗り越え、もう一歩進む。そうあって欲しかった。変わってないようでも単純でもあるけど、だけど、それが何より欲しかった。4巻も5巻も、豪の思いが同じところでループしていたのは思ってた。巧がやっぱり相変わらずなんだろうなあ、というのもずっと思っていた。それでも。でもーーーーーーーーーー!

ぜいぜい。穏やかに行こうと思ったのに、やっぱりヒートアップしてしまった。しかもまとまってない。不快に思われた方がいたら、申し訳ないです。でも、私、やっぱり、不完全燃焼ですよ…なんか……。でも、本当に、本当に、この話は、書いていてしんどかろうと思う。辛かったと思う(妄想) 終わってくれたことにはほっとしました。本当に、おつかれさまでした。ありがとうございました。