初恋の病

初恋の病 (Dariaコミックス)

初恋の病 (Dariaコミックス)

トジツキハジメは「萌えと理性は近いのかも、」と思わせる作家のような気がします。
BLを読んでいると、ときどき、核となる「ひとりとひとり」の関係性を「物語」として再構成していくために、思考(冷静さと言い換えてもいいのかも)を強く感じる作品に出会うのですが、この作家は更に、萌えの核の周りを理性で構築した何かで固めていくイメージがあります*1
とはいえ、個人的には、これまでのトジツキハジメの漫画は何かが「違った」。並べてある材料は好きなんだけど何か違う……という印象があったのです。多分、その構築した部分があまり共有できていなかったのだろうと思います。
けど、今回、かき下ろしの「絶句」がすてきすぎて転がった、よ! 俳句の好きな登場人物の片割れのために、全編が「5 7 5」の会話になっているというワンプロットなストーリーですが、これに関して言えば全部アリアリアリ、全部受け取れた! これはいい! と拳を握って漲った(結局物凄くフィーリングの話になっちゃった)。
まあ、そんなこんなで、じぶんは、この作家に関しては今後もこんな感じで受け取れたり受け取れなかったりするような気がしました。

閑話休題

そしておもむろに話は変わるのですが、この漫画を読みながら、何時だったか「雰囲気漫画が好きだよね」と言われたことがあるのを思い出しました。なんとなくマイナスなニュアンスを感じる「雰囲気漫画」という言葉ではありますが、個人的には「雰囲気漫画」って言葉は悪い言葉ではないと思うのです。マイナスの意味で使われたとき、言外に問題になっているのは「その雰囲気とコアが共有できるか」ということで、共有できないと悪い意味での「これ、雰囲気漫画だよね(=だから、何となく雰囲気は良いのはわかるけれど、描かれていることが自分の心には届いてこない)」になってしまう。
BLは少なくとも、何か厳然と在る実際の関係を描いているものではない。街行く男子二人の歩いている速度から、本の中で交わされる台詞ひとつから、そこに流れた…ように感じ取った「雰囲気」ひとつひとつが積みあがって出来てきたものなんじゃないかと思う。そんな積みあがった雰囲気の集積が物語になる。そういう意味ではBLは「雰囲気漫画」が成立しやすく、発展できる環境なんじゃないかと勝手に思っていたりします。それは少し感覚がずれてしまうと「わからない」「伝わらない」排他的なものになるのだろうけれど、そこから生まれていくものもあるんじゃないかとも思うのです。

*1:でもその周りの固め方とかも「個々人レベルでの萌えシチュエーション」とかなんですよね、たぶん