スタージョン

スタージョンおもしろいですね。すごくおもしろいですね。以前うっかり「スタージョンの走ってる文章が苦手」とか言ってたの誰だったんでしょうね(おれおれ) 最近、スタージョン復刊ブームに気持ちが乗ってしまったのか、やっと文体に慣れてきたのか、すっかりはまってしまって色々読み散らかしています。読み散らかすといっても、このクセのある文章は急いで読むのももったいないので、いつもの0.5倍くらいのスピードでゆっくり読んでいるんですけれども…(原書で読めればもっと楽しいんだろうな…)

一角獣・多角獣 (異色作家短篇集)

一角獣・多角獣 (異色作家短篇集)

読んだ。
好き、という意味では子供が出てくる話が好きです。「影よ、影よ、影の国」などなど。「影よ〜」はストーリーは残酷童話…といった趣で、おだやかな語り口で持っていきながら最後に爆発する、というような短編なのですが、それよりも本当にちょっとした地の文に描かれた子供の心の動きなどひとつひとつが心に響いてきます。リアルという言葉だとちょっと違うのだけれども、どこか文体は詩的で抽象的なのに「わかる」感じというか……うーむ、いいなあ。あと噂には聞いていた「雷と薔薇」もいいなあ。核戦争後の世界を描いた破滅系SFの短編なのですが、人間のふれあいによって生じる愛情と破滅や絶望や拭い去れない強い孤独がすべて等価に在って、それがなんと言うか尊い。47年の小説なので、当時読んでいたら、また違った生々しさがあったのかもしれませんが、「今」読むことによって、ひとつの「物語」として享受できるというか…骨組みの部分が見えるというか……いや、とにかく面白かったです(そんなことを言っていますが、それでも古臭く感じないところがすごいな、と思ったりもして)
あとがきや解説にもありましたけれども、SFというジャンル小説のくくりにいながら、スタージョンの奇妙な肌触りの小説はどこに着地するかわからない不思議さがあって、そこがとっつきにくいところでもあり、本当に魅力でもあるんですよね……。ガジェット自体はそれほど目新しくないと思ってしまうのに。

スタージョンが描く孤独とか絶望と、そしてそれによりそう愛情は、なんだかこれってオタクだったりJUNEっこだったり(!)アレなひとたちによく響きそうな気がします。
そんなこんなで「たとえ世界を失っても」(「20世紀SF〈2〉1950年代―初めの終わり (河出文庫)」(河出文庫)収録)を読み返していたのですが、本当に何度読んでもラストでため息がもれます、これ。

「われわれはなぜ、自分で選んだ相手ではなく、稲妻に打たれた相手を愛さねばならないのか?」

っていう一文で「くー」ってなる。いや、これ、あれですよ、アレの真骨頂。あれあれ。「俺は不本意を愛していた…」ですよ。
次は、きみの血を (ハヤカワ・ミステリ 1147)が読みたいと思います。