中学生の頃から1920年代に無性に憧れがあります。日本で言うと大正末期から昭和初期。例えばアメリカだと、あの禁酒法があった頃。それは物語から得た印象であり、もしくは単純に興味ある芸術運動がほとんどこの辺りというのもあるのだと思います。どうしてもこの時代の本が目につくと買ってしまうのです。ということで1920年代のことを書いた本を2冊。

優雅な生活が最高の復讐である (新潮文庫)

優雅な生活が最高の復讐である (新潮文庫)

作家、フィッツジェラルドが憧れた画家ジェラルドとセーラのマーフィー夫妻をエピソードとともに描いた評伝。評伝というだけあって(?)ものすごく面白いわけでもないし、期待していた20年代感がものすごく出ているというわけではないのですが、フィッツジェラルド夫妻とマーフィー夫妻の緊張感のある関係を描いた部分は面白かったです。ボロボロになっていくフィッツジェラルド夫妻を、時には呆れ、しかしまた友のように接し……を繰り返すマーフィー夫妻が興味深い。一番印象に残った箇所はフィッツジェラルドの質問にジェラルドが答える台詞。

「自分の人生でこしらえた部分、非現実的なところだけが好きなんだ。ぼくらにはいろんなことが起きる―病気とか誕生とか、(中略)死とか。それらが現実だ、どうにも手の出しようがない」。すると、スコット(フィッツジェラルド)が、そういうものは無視するってことかい、と聞いてきた。だからこう答えた。「無視はしないが、過大視したくない。大事なのはなにをするかではなくて、なににこころを傾けるかだと思っているから、人生の自分でつくりあげた部分しか、ぼくには意味がないと思っているんだよ」

結局このジェラルド・マーフィーの作り上げた生活はほとんど変化して(ある意味破綻して)しまうのだけれど、こういう生き方ができればいいなと思った部分でした。あとはフィッツジェラルドのあまりの破天荒ぶりに、華麗なるギャツビー (角川文庫)とか読み返したくなりました。というか、買ってきた。
あと一冊は、

これはすごく面白かったです。当時の建築などに焦点を当てつつ、乱歩の小説や、当時の世相を読み解いていく、という本で、資料もいっぱい載っているので、20年代趣味も満足……! 思えば、20年代に憧れた入り口あたりに乱歩があった気がします。そして読みながら、決していい世界ではないし、住みたいとも思わないのに、なんで20年代憧れるのかなあ、ということをつらつら考えさせられたりしました。この小説が都市生活者の"発生"のようなものを同時に読み解いていて、それは、確かに、「今」に繋がっている。物語の中であるけれども、電気が通り始め、車が行き交い始める20年代の世界は、自分がぎりぎりリアリティを持って想像可能な「異世界」なのかもしれない、とぼんやり思ったりしました。(同じ意味で、自分は50年代60年代にも妙な憧れがあるんですが、これは、「伝聞」によって憧れた想像可能な世界なんだろうなあ、と思ったり)(いろいろ考えていたんだけどさっぱりまとまらない……。)
この本の難点は乱歩の本をほとんど容赦なくネタバレしているってことだな! もし読む機会があるような方がいらっしゃいましたらお気をつけください。