本を読む理由を問われて「自分の中になんにもないからだろうね 読めば読んだだけ自分はからっぽになるね」
西炯子の「水が氷になるとき」の台詞でした。わかるなあ。と思いました。私も大概活字中毒な口ですが、自分の中になんにも残らないように借り物だけになってしまうように、本を読んでいた時がときどきありました。
昔読んだ漫画でしたが、文庫になっていたので買ってみました。少女漫画誌掲載ですがこの方の初期作品は男同士のなんちゃらがほとんどなのであまり勧められませんが。西炯子は近作のモノローグの無い漫画はあんまり好きではないのですが、高校頃、なんだか初期作品にはまっていた記憶があります。特に圧巻だったのはエッセイと西炯子が高校大学時代に描いた漫画を収載した「学生と恥」という単行本でした(今は絶版してるみたいです)。特にエッセイが印象に残っています。彼女の大学時代、そして卒業して自殺未遂をし、教員になり…というエッセイを読んでなんだかぼろぼろ泣いたことを思い出します。
「病の源はつきつめればただ一つであった。
"自分を許すことができない" 
親の期待に添えない自分。人に心を許すことができない自分。甘えてばかりの自分。すぐに悲観的になる自分。自分自分自分自分。」
引用。なんというか、自分にもものすごく覚えがある感情です。私もずっと自分をどうしても許すことができなかったのです。それはもう、潔癖なまでに。だから本を漁るように読み、自分の中をかりものでいっぱいにしたかった。
そんなことを「学生と恥」を再読しながらぼんやり思い出しました。
今は大分自分を許せているし、けれどまだ完全に許すことが怖いままでいるけれど、随分変わってしまった最近の西炯子のマンガを読み直しながら、人は変わっていくものなのだな、とぼんやり思います。

実はかなり酔っ払ってます。後悔しそうだなあ、この更新と思いつつ。